首相の「桜を見る会」が問題になり、
来年はひとまず中止で、そのあり方を見直すそうです。
いろいろな情報が流れていますが、
これが首相や党がどこまで意識して行っていたのか、
官僚側の忖度でなされたのか、長年の慣例で行っていたのか、
現時点でそれは判断できませんが、
組織の中で、こうした事は起こりがちです。

小さな組織、会社、グループでも、
人の集まりで「長」がいれば、そうした事はあります。
監獄実験は有名ですが、最近ではそれが壮大な嘘だったという話しも聞こえています。
その真相はわかりませんが、監獄実験のように設定、役上の権力、権威では
確かにそこまでなるのかという疑問はもありますが、
それが実際の権力・権威となれば話しは別です。
些細であっても人の意識を変え傲慢になりやすいと私は思っています。
パワハラがあること自体がそれを象徴していると思いませんか?

人は傲り、集団はダレるものです。
だからこそ「長」となる人間は
いつも厳しく自分を客観的に保つよう心がけないといけないし、
何より自分の、人間の意思の弱さを常に胸に置いておくべきだと思います。
そして、同じく組織は流れ、入れ替わり、移り変わりが
無ければ澱むことを頭に留めて置くべきでしょう。

こうしたことは行事ごとだけではありません。
業務そのものにもある事です。
なあなあで無駄に労力とお金が失われる。
時代は変わっていきます。人も組織も変わります。
慣例になっているようなものは、定期的に見直し
その時と状況に合わせて整理しなければ、
会社や組織にとっても、結局は負担となってしまいます。

そうならないためにも、
長は意識を出来るだけ新鮮に保たなければならないし、
惰性や誘惑に負けない心構えが必要です。
無意識に事に当たってはいけないのです。
そして慣例的業務は澱まないように見ていく必要があります。

それは、地味ですが大変で 難しい事です。